(14)手帳

彼は、本当によく頑張ってくれたと思います。

まったく異業種の
それも考えられないような金額の借金のある会社の
いきなり社長に収まって

言うなれば
まったく縁もゆかりもないわたしの父の放蕩ぶりの
尻ぬぐいをしてくれることになったのです。

彼にこの時の心情を聞いたこともありませんし
たとえ聞いても答えはしないでしょうから
もう今となっては聞こうとも思いませんが…(笑)

彼がこの時、わたし達親子を守るためにしてくれた様々なことや
おもてには決して出さないその深い思いやりの気持ちには
20年以上経った今でも変わることなく心から感謝しています。
会社の内情を見て
ワンマン経営をしてきた父の
『ほころび』の部分がすぐにわかった彼は
多くの決断をし、それを実行に移していきました。

嫌われ役を自ら買って出てくれたのです。

その頃…息子はと言えば
一気に病状が悪くなり、大学病院から
隔離病棟のある医療機関に移されます。

酸素テントの中にいる小さな、そしてその弱々しい命を横目に
なんの役にも立たない自分を責め

神様は、わたしから大切な命をふたつもいっぺんに取り上げようとしていらっしゃるのか…と、悔しさともどかしさで心がその現実に追いついていけない状態が続きました。

洗濯物を干しに、そのなんともうら寂しい医療機関の屋上にいる時だけが
唯一、涙を流しても許される時間だったのです。

希望…なんていう言葉は薄っぺらくさえ感じ、明るい未来を感じることもできず

息子の最期の場所がこんな湿っぽい暗い場所だとしたら…
そうなってしまうのは耐えきれない…

そんな思いまで持っていました。

ところが、何がきっかけだったのか…
はたまた、どのお薬が効いたのかも
今となっては覚えもありませんが

そんな…生死をさまよう状態だった息子が
奇跡のV字回復を見せたのです!

そして、ようやく退院の運びとなり
わたしも屋上で隠れて涙を流すこともなくなり
少しずつですが笑えるようになったのは

この古くて暗い隔離病棟へきて1ヶ月が経とうとする頃でした。

久しぶりの我が家に帰ると
すっかり仲良しの…母と新米の夫
…という構図が出来上がっていて

わたしは、後発でそこに仲間に入れてもらう…という
少しイレギュラーな新婚?生活が始まりました。

彼は、元来多くを語らない人な上に

まあ、わたしに話してもラチがあかないのは良くわかっているようで(笑)
わたしに仕事の話、特にお金の話をしてくることはありませんでした。

それにしても
ワンマン社長の急死は少なからず色々なところに影響し

同業者、取引先、果ては地域の人や親戚まで
いったいどれだけの人が『手のひら』を平気で返すのかと

人間不信という言葉をその時初めて実感しました。

面白いのは
父からお金を借りている人や
なんらかの恩を感じている人の
多くは

死人に口なし…をいいことに
知らん顔しちゃうんだなーということを
客観的に見せてもらいました。

几帳面だったらしい父の遺品の
10数年分の手帳に記されてあったことは
母とわたしは見ることはありませんでしたが感じるものはあるものです。

『お前たち二人は、この手帳は死ぬまで見てはいけない。
気が狂うといけないから…』

新米夫にそう言われ
わたしも母も、素直にその言葉を聞きました。

よっしゃよっしゃ体質だった父が
たくさんの人に頼まれるとお金を用立てていたのではないかと思われます。
ま、それ以外にも
たくさんの女の人にもお金を使ってたでしょうしね(笑)

あの『お姉ちゃん』が着ていたミンクのロングコートが
ふと思い出された瞬間でした。

ま、そんなのはこの金額からしたらちっちゃいちっちゃいものですけどね。

そして、新米夫は、そこに記してある人たちに
そのあと顔を合わす機会があっても
そのことに関してただのひと言も口に出すことはしませんでした。

わたしなら、嫌味のひとつも言いたくなっただろうし
父が用立てたお金を返して!って言ってしまったかもしれない。

母やわたしにそれをさせないためだったのだろうか…

どうやら
そこに記してあった内容を
彼が一人で自分が死ぬ時にお墓に持っていくつもりなんだな
と、それぐらいはわたしでも見当がつきました。

『帰ってこんと思え…』ってボソッと言った音だけは聞こえた気がしました。
そして
いつの間にか
その10数年分の手帳は、この世に存在しなくなっていました。

そして

小さい頃から野菜しか食べないおばあちゃんの影響で

レンコンの煮物や、里芋の煮物…みたいなおかずのオンパレードで

家族旅行もまともに行ったこともなく、決して贅沢な生活をしたこともない

公共工事95パーセントのこの会社がいったいなぜそんな金額の借金を作り出したのか、未だもってナゾ(笑)