(21)図太いのか、それともズルいのか…

母がガンで入院を余儀なくされた時
一番下の息子はまだ2歳になっていませんでした。

そのすぐ上の娘が保育園の年少組。

わたしは、母の病院にも行きたいし
でも働かなければ食べてはいけない。

無理を承知で、慌てて保育園に入園をお願いすると
園長先生は明日からでも連れていらっしゃい
と、ありがたい言葉を投げかけてくださいました。

ただ…手続きは必要だから
それだけはしましょう…と

ところが
その手続き…で、まさかの展開です!

その頃住んでいた市の
担当課は、そんな事情ならすぐにでも…と
ぜんぜんオッケーだったのですが

なんと、その市のトップにダメ出しをくらったのです!

まさか…倒産したことの余波がこんなところにまできたとは…。

それは決して納得のいく理由ではなく
公私混同も甚だしい…ひどい理由でしかなかったのですが

末っ子である息子が、保育園に入れてもらえないという事実だけは
園長先生や担当課の人がどれだけご尽力くださっても曲げることはできませんでした。

クビチョウ…というものは、大きな力を持つものですね…。
仕方なしに

お姉ちゃんを保育園に送り
そこからずいぶん遠いところでようやく探し出した隣町の託児所に弟を預け
母の病院に行き、仕事もする…

そんなめまぐるしい日々が続きました。

母が亡くなり
それでもなお送り迎えだけで1日の3時間ほどの時間を費やし
日々ヘトヘトになっている時に、はたと思ったのであります。

私だけじゃないよね…こんなふうに困ってるお母さん…って。

いくら田舎だからって…いや田舎だからこそ

近くに託児所も何もなくて
どうしようもない思いをしているお母さんっているんじゃない?

そう思ったら居ても立っても居られなくなり
そのまま県庁へ連絡して
担当課を教えてもらい
翌日には、県庁でその担当課の人と話していました。

普段は何事にもグズでのろまな私なのですが
なぜかこういう時だけ…烈火のごとく動いてしまうのです(笑)

担当課の人のアドバイスもあり
無認可保育園をすることは、呆気なく決まりました。

私は、保育士の資格も、そこに必要な知識も何も持たないまま…。
ど田舎ですから
多くの需要があったわけではありませんが

それでも、
この住み慣れた1500坪の土地と建物を
どうしても離れなければいけない状況になるその日までの数年間

可愛い寝顔や、寝ぐずって泣く声や
泥んこ遊びやお散歩に、どれだけこちらが救われたかわかりません。

そして
一足飛びにうまく運ぶことができない開業したばかりの葬儀屋さんの代わりに

言葉は悪いですが…
食い繋がせてもらっていたのです…『mammy’s』という名の無認可保育園に。

図太く生きることと
ズルく生きることは

似て非なるものなのか、否か…。

今でも、それはわかりませんが
家賃…というものが発生しない分

私は、ズルイことをしているのではないかと
その数年間…何度心を痛めたかわかりません。

でも、そうするしかなかったのです。

競売…という制度が
私たちに
出て行け!というその日まで

居座ったのでありました…

30年以上住み慣れた…しかし、すでに誰の持ち物だかわからない家に。

気の小さい私には
図太く生きることと

それをまるで気にもしていないように日々を過ごすことは
ある種、拷問のようでもありました。

でも、そうすることで守れたものがひとつだけありました。

子供たちは、大きく環境が変わることなく
のんびりとした田舎で
大切な幼い時間を過ごさせてもらうことができたのです。

何かへの申し訳なさと引き換えに
母として少しだけ強くなれた気がしたその数年間でありました。